姫路城
(播磨国)
▼桜門橋・大手門
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日本の城 写真集
姫路城
姫路城は現在の日本を代表する城郭である。これだけ多くの建造物が現存する城は他には無く、世界遺産、国宝でもある。
姫路城は、播磨の守護・赤松則村が元弘3年(1333)に砦を築き、子の貞範が築城したのが始まりで、その後小寺氏・黒田氏が城主となったとされる。ただし、16世紀中頃に黒田氏が築城したという説もある。天正8年(1580)には、当時の城主・黒田孝高は、豊臣秀吉に姫路城を毛利氏討伐の拠点とすることを薦め、入城した秀吉は3層の天守閣を築いた。
関ヶ原合戦後には徳川家康の女婿・池田輝政が城主となった。輝政は城域を拡大し、また5層7階の大天守と付属する三つの小天守を築いた。池田氏が3代続いた後、本多忠政が城主となった。忠政の長男・忠刻は徳川秀忠の長女・千姫を娶り、千姫のために西の丸を整備した。
(2008/1/26 作成)
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