関ヶ原合戦後に安芸・備後を領した福島正則が、西軍であった毛利家との国境を警備するために築いた城である。毛利家は岩国に城を築き、福島領との国境を警備したため、亀居城と岩国城が互いに対峙するような形になった。
慶長8年(1603)に築城を開始し、同13年(1608)に完成した。しかし同16年には幕命により早くも廃城されてしまった。しかし現在でも往時の立派な石垣が残る。
関ヶ原合戦後に安芸・備後を領した福島正則が毛利家との国境を警備するために築いた城である。毛利家は岩国に城を築き、福島領との国境を警備したため、亀居城と岩国城が互いに対峙するような形になった。
(2008/7/5 作成)