日本百名城。太田道灌が築いたのが始まりと言われる。その後北条氏の手に渡り、北条氏滅亡後は徳川家康が入った。江戸幕府開府後は幕府の首都となり、城が「天下普請」で拡張され日本一の規模の天守も上げられた。現在は皇居として使用される。
日本百名城。関東を支配した北条氏が戦国時代末に築いた城。日常は山麓の御主殿で政務を行い、合戦時は山城部に籠城する事を想定した構造。天正18年(1590)に豊臣秀吉の関東征伐時に前田利家・上杉景勝の大軍に包囲され落城した。
武蔵の守護代・大石氏の居城で時の当主・定重が築いた。その後大石氏は相模の北条氏の支配下に入る。これにより北条氏照が大石氏の養子となり、氏照が滝山城主となった。氏照はより堅固な城の必要性を感じ、滝山城を廃し新たに八王子城を築いた。
品川台場は幕末に江戸幕府が築いた台場で、外国船襲来に備えるために江戸城からほど近くの品川沖に六基築かれた。台場には砲台が設けられ、大砲により外国船に攻撃を加える構想であった。築城はペリー来航の翌月の嘉永六年(1853)から開始され、翌年に完成した。現在は第三台場と第六台場が残る。