日本百名城。この地は元は戦国大名龍造寺氏の本拠地である村中城があったが、やがて龍造寺氏の家臣・鍋島氏が実権を握り、江戸時代に入ってから城を拡張し現在の佐賀城となった。 本丸御殿が復元された他、鯱の門・続櫓が現存する。
唐津城はこの地に封じられた寺沢高広が築いた城で、慶長13年(1608)に完成した。建築には名護屋城を解体した資材が用いられたという。現在は舞鶴公園として整備され、天守も復興された。
日本百名城。全国制覇した豊臣秀吉が、朝鮮半島・中国大陸の侵略を目論み、その拠点とするために築いた城。周辺には全国の諸大名の陣が築かれた。慶長3年に秀吉が死去すると廃城された。島原の乱が起こると、同じような乱が再び起こらないよう徹底的に破城された。実際、石垣がV字に破壊されている箇所が多数ある。
治承~文治年間(1177~1190)に松浦党の源披が築いたのが始まりである。披の子・持が平戸に拠点を移したため、廃城になったと言われる。その後、当地を支配した波多氏は城を整備し鶴田前を入れて龍造寺氏との境界を固めた。波多氏の後に寺沢氏が当地に封じられると、獅子ヶ城を石垣造りの城に造り替えた。
上松浦党の棟梁であった波多氏の居城。築城は南北朝時代と伝わる。波多氏は現在の唐津付近を拠点に勢力をふるったが、第17代・波多親(はた・ちかし)の時に豊臣秀吉に従属した。当地は壱岐・対馬を経由し朝鮮へ渡るための起点であったため、秀吉によって城が石垣造りに改修されたようである。