浜田藩の初代・古田重治が築いたのが始まり。城の北は日本海、東西は川に囲まれた丘陵にある天険の城。本丸には天守の代用の三重櫓が建っていたと言う。明治維新の折には長州軍の侵入を受け、時の城主松平武聡は自ら城に火を放ち城から落ち延びた。
日本百名城。津和野城は吉見頼行が永仁三年(1295)に築いたのが始まりである。関ヶ原合戦後に城主となった坂崎直盛は城を近代城郭へと再築した。天守も建てられたが貞享三年(1686)に落雷により焼失した。山上に聳える石垣が美しい。
天守の現存する城、国宝天守。三大湖城(宍道湖畔)、日本百名城。堀尾吉晴は関ヶ原合戦後に出雲国に封じられると、当初は月山冨田城を居城としたが、より便利で土地の開けた松江に築城した。櫓や門などの復元も進められ、城全体が非常に美しい。
日本百名城。 出雲国の城で、戦国時代の尼子氏の本拠地であった。尼子氏が毛利氏に滅ぼされた後は毛利氏の支配下に入り、関ヶ原の合戦後は堀尾吉晴の居城となる。その後居城が松江へ移され、月山富田城は廃城となった。
三刀屋城は古く鎌倉時代に築かれた城である。築城者は諏訪部扶長で、鎌倉幕府から三刀屋の地を与えられ、三刀屋氏を称した。室町時代から戦国時代にかけ、山名氏、京極氏、尼子氏、毛利氏の家臣となった。三刀屋氏は永年毛利氏の家臣として活躍するが、天正六年(1588)に改易され、三刀屋城は廃城となった。
島根県(出雲国)の山間部、南北を川に挟まれた要害山に築かれた山城。城の始まりは14世紀初頭と言われ、当地の豪族・三沢氏が築いたと伝わる。三沢氏は出雲国内では大きな勢力を持ち、尼子氏、毛利氏に属した。>登城路の途中に大手口と伝わる門跡には大きな石垣が残る。