三大水城、日本百名城。天正16年(1588)に生駒親正が築いた城。城の北側は瀬戸内海に面し堀には海水が引き入れられた。このため海運の便は良いが、海沿いの築城は難易度が高かった。生駒氏の後は松平頼重(徳川光圀の兄)が藩主となった。
天守の現存する城。日本百名城。当地の豪族・奈良氏が築城した後、慶長2年(1597)に生駒氏が改修を加えた。城は平地の中の小高い丘に築かれており麓から見上げると高く聳える石垣が壮観である。その高さは合計60mで日本一の高さを誇る。
讃岐国の東端、阿波国との国境付近の海沿いに築かれた城。城は海に突き出した半島状の地形に築かれ、麓の引田港を抑え、水軍の拠点として活用された。天正15年(1587)には生駒親正が讃岐国主となり、讃岐東部を支配するために引田城を整備拡張した。現在でも引田城には生駒氏時代の野面積みの石垣が遺構として残る。崩れてしまっている石垣も多いが往時を思い起こさせる。