日本百名城。元和八年(1622)に完成した城で、水野勝成が築いた。幕府は勝成の武勇を買い、西国大名の目付けとして福山に封じた。天守は明治維新後も残っていたが太平洋戦争の空襲により焼失。現在の天守は昭和41年に再建されたもの。
毛利元就の三男・小早川隆景が永禄10年(1567)に築いた城。城は瀬戸内海に面し水軍の船を城内に格納することができ、隆景はこれにより瀬戸内の制海権を握った。現在は城内に三原駅があり、天守台には三原駅から入る構造になっている。