杵築城は大友氏一族の木付氏の居城で、その名は「木付城」であった。別名を台山城、臥牛城と呼ぶ。木付氏はもともと別の場所に城を構えていたが、四代頼直が応永元年(1394)に現在の城を築いた。
天正十五年(1587)には薩摩島津軍の攻撃を受けたが、十六代鎮直が撃退した。文禄二年(1593)に大友氏が失脚すると時の当主・統直と父・鎮直は自害し木付氏は滅亡した。代わって前田玄以、杉原長房が入城、慶長四年(1599)には細川氏の領有となり城代として松井氏が入った。細川氏の肥後転封に伴い小笠原忠知が、その後能見松平氏が入城し、幕末に至る。
「木付」という地名が「杵築」に改められたのは、正徳二年(1712)に将軍家宣下賜の朱印状に「木付」が「杵築」と書き間違えられていたものをそのまま使われたためである。
大友氏一族の木付氏四代頼直が応永元年に築いた城。別名を台山城、臥牛城と呼ばれる。天正十五年には薩摩島津軍の攻撃を受けたが十六代鎮直が撃退した。城の麓には今でも城下町の街並みが残り、江戸時代の街の雰囲気を味わうことができる。
(2008/5/25 作成)