北西に筑後川が流れる丘陵に築かれた城。往時には天守は建てられなかったが、本丸に七つの櫓が立ち並び、特に東南隅には三層の櫓が建てられていた。元和七年(1621)に有馬豊氏が入城し、明治維新まで有馬氏が11代城主を務めた。
城を築いたのは筑後の豪族・蒲池氏。城の周囲には水路が張り巡らされ難攻不落を誇った。天正十五年には立花宗茂が城主となるが関ヶ原の合戦で改易され、代わって田中吉政が支配し天守を築いた。田中氏の改易後には立花宗茂が城主として復活した。