関ヶ原合戦後の慶長5年(1600)に筑前国に封じられた黒田長政が築城した城。当初名島城を居城としていたが、より大きな城の必要性を感じ福岡城を築城した。築城に際し、当地の地名を黒田家の故郷である備前福岡にちなみ、福岡と改名した。城地は北は玄界灘に面し東は商人の街・博多に隣接していた。現在は舞鶴公園として整備され、壮大な石垣や櫓、城門が現存する。
黒田長政の三男長興が分封され秋月藩主となった際に築かれた城である。明治維新の際に廃城されたが、現在でも城門や武家屋敷が残り、城下町の雰囲気を味わうことができる。秋月城築城以前は背後の古処山に城があり、古処山城と呼ばれていた。
16世紀に大友氏配下で筑前守護代の高橋鑑種が築城した城である。その後吉弘鎮理(高橋氏を継ぎ高橋紹雲と名乗る)が城主となった。天正14年には北上する島津軍の攻撃を受け落城、城主高橋紹雲以下、将士763名全員が戦死したと言う。