当地は戦国時代には由利十二頭と呼ばれる豪族連合が治め、亀田城の背後の山に赤尾津氏の居城があった。関ヶ原合戦後には最上家の所領となるが、最上家が改易された後の元和9年(1623)に岩城吉隆が封じられた。この時吉隆は亀田陣屋(亀田城)を築いた。吉隆は秋田藩佐竹氏の一族であり、佐竹家当主の義宣には子が無く、吉隆は佐竹家の養子となり、後に佐竹家の家督を継いだ。そのため岩城家当主には吉隆の叔父・宣隆が就任した。以降、幕末まで岩城家が当地を治めた。
元和9年に岩城吉隆が当地に封じられ吉隆は亀田陣屋(亀田城)を築いた。吉隆は秋田藩佐竹氏の一族であり、佐竹家当主の義宣には子が無く、吉隆は佐竹家の養子とな、後に佐竹家の家督を継いだ。そのため岩城家当主には吉隆の叔父・宣隆が就任した。
(2010/11/13 作成)