横手城は朝倉城とも呼ばれ、横手川沿いの小山に築かれた城。築いたのは当地の戦国大名の小野寺氏で、築城時期は室町時代後期である。関ヶ原合戦の際に小野寺家当主の義道は西軍につき改易され、横手城は佐竹家の支城となり、城主に佐竹家家臣の伊達盛重(伊達政宗の叔父でかつて国分盛重を名乗り、伊達家を出奔していた)、次いで須田氏、戸村氏が任じられた。
幕末には奥州の多くの藩は佐幕派であったが、佐竹家は新政府側に立ったため、横手城は佐幕派の攻撃を受け落城した。
かつては城に韮を植え、滑りやすくする事で城を攻めにくくする工夫をし、「韮城」とも呼ばれた。現在はかつての二の丸に模擬天守が建てられている。
当地の戦国大名・小野寺氏が築城した城。関ヶ原合戦の際に小野寺家当主の義道は西軍につき改易され、横手城は佐竹家の支城となった。幕末には奥州の多くの藩は佐幕派であったが佐竹家は新政府側に立ったため、横手城は佐幕派の攻撃を受け落城した。
(2010/11/13 作成)