村上城は元々地頭の本庄氏の拠点であり、築城は16世紀初頭と言われる。典型的な中世の山城であった。戦国時代、本庄氏は長尾氏・上杉氏に従っていたが、永禄11年(1568)には本庄繁長は上杉謙信に対して反旗を翻し、城は謙信の大軍に囲まれるが陥落しなかった。繁長は翌年降伏し、上杉氏の重臣として活躍した。
上杉氏が会津へ転封されると、代わって村上頼勝が城主となり、城を拡張した。さらに堀氏、松平氏により拡張が続けられ、現在見る石垣造りの城となった。
地頭の本庄氏の拠点であり典型的な中世の山城。永禄11年には本庄繁長は上杉謙信に対して反旗を翻し、城は大軍に囲まれるが陥落しなかった。のち村上頼勝、堀氏、松平氏により拡張され、現在見る石垣造りの城となった。
(2008/7/12 作成、2020/5/24 更新)