長岡城は元和2年(1616)に堀直寄によって築かれた。堀直寄は当初は近隣の蔵王堂城に本拠を置いていたが、新たに長岡城を築いた。堀家のあとは牧野家が入り、幕末まで続いた。戊辰戦争の際には牧野家は幕府側の奥羽越列藩同盟に加盟し、ガトリング砲を武装するなどして新政府側と戦うが敗北し、長岡城は焼失した。
現在長岡城の跡地は完全に市街地化され、JR長岡駅前に石碑が建つのが唯一の城の名残である。
元和2年(1616)に堀直寄によって築かれた城。堀家のあとは牧野家が入り、幕末まで続いた。戊辰戦争の際には牧野家は幕府側の奥羽越列藩同盟に加盟し、ガトリング砲を武装するなどして新政府側と戦うが敗北し、長岡城は焼失した。現在長岡城の跡地は完全に市街地化され、JR長岡駅前に石碑が建つのが唯一の城の名残である。
(2012/5/19 作成)