元与板城は建武年間に新田義顕の一族・籠沢入道が築いたのが始まりと伝わる。その後、中条家、飯沼家などが城主となり、天文15年頃に上杉謙信の重臣・直江景綱が城主となった。その後天正年間に与板城が築かれ、直江信綱、直江兼続が居城とした。
直江兼続はもとは上杉景勝の家臣・樋口家の出身で、幼い頃から景勝に近侍していたが、上杉家重臣の直江信綱が死去すると、景勝の命で直江家の家督を相続し、直江兼続と名乗った。直江信綱は元々直江家に婿入りし、直江景綱の娘・おせんと結婚していたが、信綱が死去したので兼続が婿入りし、おせんと結婚した。
寛永11年(1634)に長岡藩の支藩として与板藩が成立する。この時設けられたのが与板陣屋で、牧野家、のちに井伊家(近江彦根の支藩)が入った。幕末の戊辰戦争の際に与板藩は近江彦根藩に従い新政府側についたが、幕府側の攻撃を受けた。
元与板城は建武年間に新田義顕の一族・籠沢入道が築いたのが始まりと伝わる。天文15年頃に上杉謙信の重臣・直江景綱が城主となった。その後天正年間に与板城が築かれ、直江信綱、直江兼続が居城とした。寛永11年(1634)に長岡藩の支藩として与板藩が成立する。この時設けられたのが与板陣屋である。
(2012/5/19 作成)