四稜郭は榎本武揚率いる旧幕府軍が明治2年(1869)に築いた城である。明治新政府軍からの攻撃に備え、五稜郭の背後を固めるために、付近の住民と兵士計約300人を動員して突貫工事で築いた。しかし新政府軍が攻撃を開始すると、その日のうちに陥落してしまった。城の形は、その名の通り4つの頂点を持つ。
榎本武揚率いる旧幕府軍が明治2年(1869)に明治新政府軍からの攻撃に備えるために突貫工事で築いた。しかし新政府軍が攻撃を開始すると、その日のうちに陥落してしまった。城の形は、その名の通り4つの頂点を持つ。
(2009/8/30 作成)