神岡城は往時は東町城と呼ばれ、当地を支配した江馬氏の城であり、戦国時代には本拠を近隣の江馬氏館からここへ移したとも言われる。甲斐の武田氏が当地に勢力を伸ばすと、武田氏の重臣・山県昌景が本城を拠点とした。金森氏が飛騨に入ると金森氏の家臣・山田小十郎が城主となった。城は高原川沿いの高い段丘沿いに築かれ、背後が絶壁の天険である。現在は城の一帯が高原郷土館として整備され、昭和45年に模擬天守建築が建てられた。
神岡城は往時は東町城と呼ばれ、当地を支配した江馬氏の城であり、戦国時代には本拠を近隣の江馬氏館からここへ移したと言われる。また金森氏が飛騨に入ってからは出城の役を果たした。城は高原川沿いの高い段丘沿いに築かれ、背後が絶壁の天険である。現在は城の一帯が高原郷土館として整備され、昭和45年に模擬天守建築が建てられた。
(2019/6/23 作成)