高山城はもとは天神山城と呼ばれ、飛騨の守護代・多賀徳言が築いたのが始まりである。天正年間には高山外記が在城していたが、三木自綱に滅ぼされた。
その自綱も豊臣秀吉の部下・金森長近に滅ぼされ、飛騨国は長近が支配するところとなった。長近は最初松倉城を居城としていたが、やがてこれを廃し、天神山城の故地に高山城を築いた。築城は天正16年(1588)に開始され、16年の歳月をかけて完成した。
金森氏は江戸時代も大名として飛騨を支配し、高山城が藩庁であった。しかし元禄5年(1692)に幕府が飛騨国に眠る天然資源に目をつけ、金森氏を転封し高山を幕府直轄領とした。城はその3年後、元禄8年(1695)に廃城となった。
もとは天神山城と呼ばれ、飛騨の守護代・多賀徳言が築いたのが始まりである。やがて豊臣秀吉の部下・金森長近が飛騨を支配し、天神山城の故地に高山城を築いた。元禄5年に幕府が飛騨国に眠る天然資源に目をつけ、幕府直轄領とした。
(2008/11/5 作成、2019/6/20 更新、 2022/4/27 更新)