熊本城は日本三名城に数えられる名城である。
元々この地には応仁年間に肥後国守護・菊池氏の一族が築いた千葉城、その後に鹿子木氏が築いた隈本城があった。
現在の熊本城を築城したのは加藤清正で、慶長六年(1601)頃から築城が開始され、慶長十二年(1607)に完成した。その石垣は上に行くほど反りがきつくなる構造で、武者返しと呼ばれる。清正は江戸幕府の大名となったが元は豊臣秀吉の重臣であり、熊本城には秀吉の子・秀頼を迎え入れる構想があったのでは、と言われている。本丸御殿のもっとも格式の高い昭君の間は秀頼のための部屋だった可能性がある。
江戸時代に加藤家が改易されると、細川家が入り幕末を迎えた。明治十年(1877)には西南戦争の舞台となり、天守を始め多くの建物が焼失したが、薩摩軍の攻撃を撃退したことでその堅城ぶりを証明した。
現在でも宇土櫓をはじめ13棟の建造物が現存する他、大小天守や本丸御殿など、多くの建物が再建され、見所の多い名城である。
日本三名城、日本百名城。築城者は加藤清正で1607年に完成した。その石垣は上に行くほど反りがきつくなる構造で武者返しと呼ばれる。現在でも宇土櫓をはじめ13棟の建造物が現存する他、大小天守や本丸御殿など多くの建物が再建された。
(2008/5/11 作成、2010/4/30 更新、2015/12/28 更新)