内牧城は当地を支配した阿蘇家の城で、天文年間(1532~1555)に築かれたと言われる。天正14年(1586)には島津家の侵攻を受けて落城したと伝わる。のちに豊臣秀吉により肥後に加藤清正が封じられると、加藤可重などが城代を務めた。元和元年(1615)の一国一城令で廃城になったと伝わる。その後、細川家の時代には城跡に内牧手永会所(代官所)と参勤交代時の宿泊所・内牧御茶屋が設けられた。
城は黒川と古川に挟まれた平地に築かれていた。現在は古川沿いの公園に城跡の面影が残る。
当地を支配した阿蘇家の城。天文年間(1532~1555)に築かれたと言われる。元和元年(1615)の一国一城令で廃城になったと伝わる。その後、細川家の時代には城跡に内牧手永会所(代官所)と参勤交代時の宿泊所・内牧御茶屋が設けられた。城は黒川と古川に挟まれた平地に築かれ、現在は古川沿いの公園に城跡の面影が残る。
(2016/1/2 作成)