宇土城は、はじめは西岡台という台地上に11世紀ごろに築かれ、菊池氏の一族が城主を務めていた。この城は宇土古城と呼ばれる場合が多い。その後、宇土氏、名和氏が城主となった。
天正十六年(1588)には豊臣秀吉の部下・小西行長が城主となり、西岡台から程近い場所に新たに城を築いた。関ヶ原合戦で西軍に与した行長が滅ぶと、肥後一国を領した加藤清正の支城となったが、慶長十七年(1612)に一国一城令により廃城となった。
宇土城は、はじめは西岡台という台地上に11世紀ごろに築かれ、菊池氏の一族が城主を務めていた。天正十六年には豊臣秀吉の部下・小西行長が城主となり、西岡台から程近い場所に新たに城を築いた。慶長十七年に一国一城令により廃城となった。
(2008/5/7 作成)