【城の歴史】
笠間城は、下野守護・宇都宮家の一族である笠間時朝(1204-1265)が築いたのが始まりと言われ、笠間氏は主家の宇都宮氏に従っていた。しかし天正十八年(1590)の秀吉の関東征伐時に笠間氏は北条氏と結んだため改易され、宇都宮氏家臣の玉生勝昌が城主となり、さらに宇都宮氏改易に伴い宇都宮に入った蒲生秀行の家臣・蒲生郷成が城主となった。関ヶ原合戦後には松平康重が城主となり、その後多くの城主を経て牧野氏が入り、幕末を迎えた。
【城の立地】
笠間の地は常陸国に属するが、下野国にも近く、下野の大名(宇都宮氏、蒲生氏)の家臣が城主を務める期間が長かった。
【城の見どころ:普請(土木工事)編】
中世の山城をベースに、所々に築かれている石垣が見られる。また山頂部分である天守曲輪は石垣造りであり、関東でも屈指の石垣である。
【城の見どころ:作事(建築)編】
かつて笠間城本丸に建っていた八幡台櫓が、城下の真浄寺に移築され現存する。また城門2棟が民家に移築されている。
【主な参考文献等】
現地看板、パンフレット
笠間時朝が築いたのが始まりと言われる。天正十八年の秀吉の関東征伐時に笠間氏は北条氏と結んだため改易された。関ヶ原合戦後には松平康重が城主となり、その後牧野氏が入り幕末を迎えた。山頂部分は石垣造りであり現在でも遺構が残る。
(2007/10/8 作成、2013/6/9 更新、2023/7/1 更新)