別名石田城とも呼ばれる。五島藩主である五島氏は、元は江川城を居城としていたが、慶長19年(1614)に焼失し、以降城を持たなかった。しかし幕末に至り外国からの脅威に備えるため、幕府の命令により築かれたのが福江城である。嘉永2年(1849)に築城を開始し、文久3年(1863)に完成した。城は当時は海に面しており、常灯鼻は藩の設けた灯台であった。
安政5年(1858)に藩主五島盛成は隠居し、城内に隠居御殿と庭園を築造した。
別名石田城。五島藩主である五島氏は元は江川城を居城としていたが、慶長19年に焼失し以降城を持たなかった。しかし幕末に至り外国からの脅威に備えるため、幕命により築かれたのが福江城である。嘉永2年に築城を開始し、文久3年に完成した。
(2008/10/19 作成)