景石城は鳥取城の南方、若桜鬼ヶ城の西方に位置する城である。いつ城が築かれたのかは不明だが、室町時代には山名氏の支配下に入っていた。山名氏は織田信長の部下・羽柴秀吉の軍勢に攻められ、天正八年(1580)には景石城は秀吉の手に落ち、秀吉の家臣・磯部豊直が城主となった。その後一度山名方に城を奪われるものの、再度奪還し、秀吉の鳥取城攻めの拠点として機能したものと思われる。その後慶長五年(1600)の関ヶ原合戦で磯部豊直は西軍に味方し敗北したため改易され、景石城には若桜鬼ヶ城の城主・山崎氏の家臣が入った。のちに慶長20年(1615)に一国一城令が発令されると景石城は廃城された。
鳥取城の南方、若桜鬼ヶ城の西方に位置する城。戦国時代に城を支配したのは山名氏だが、天正八年(1580)には景石城は羽柴秀吉の手に落ち、秀吉の家臣・磯部豊直が城主となり、秀吉の鳥取城攻めの拠点として機能したものと思われる。慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後、若桜鬼ヶ城の城主・山崎氏の家臣が入ったが、慶長20年(1615)に一国一城令が発令されると廃城された。
(2013/10/5 作成)