鳥取県鳥取市の久松山にある城。因幡山名氏、但馬山名氏の争いの中で築城されたとみられる。
山名氏の支配の後、毛利家の吉川元春により落城し毛利方となる。その後吉川経家が城主となるが、織田家家臣の羽柴秀吉が来襲し、兵糧攻めの末落城、吉川経家は自決した。
落城後は秀吉の部下・宮部継潤が城代となった。江戸時代は池田氏が入城し、明治維新まで続いた。
城は、山城の部分と、近世に整備された山麓の部分からなる。
日本百名城。山名氏の支配の後、毛利家の支配を受け吉川経家が城主となるが、羽柴秀吉が来襲し、兵糧攻めの末落城、吉川経家は自決した。江戸時代は池田氏が入城し、明治維新まで続いた。城は、山城の部分と、近世に整備された山麓の部分からなる。
(2007/5/1 作成、2013/9/22 更新)