蒲生氏郷は天正十二年(1582)に伊勢国に封じられ当初松ヶ島城を居城としたが、やがて天正十六年(1588)に松坂城を築城した。
氏郷が会津若松へ移封された後には、服部一忠、古田重勝が城主となった。元和五年(1619)には紀州藩領となり城代が置かれた。
かつては三層の天守も存在したが、天保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。二の丸には寛政六年(1794)に紀州藩の陣屋が建てられていた。
日本百名城。蒲生氏郷が天正十六年(1588)に築城した。氏郷が会津若松へ移封された後には、服部一忠、古田重勝が城主となった。元和五年(1619)には紀州藩領となり城代が置かれた。総石垣作りの城で迫力に圧倒される。
(2008/2/3 作成、2013/7/19更新)