小松城は加賀一向一揆の拠点であったが、織田信長により滅ぼされると、信長の支配下に入った。関ヶ原合戦時には丹羽長重が支配していたが、長重は西軍に与したため所領を没収され、かわって加賀前田家の支配下に入った。この頃までは、城の規模はさほど大きくなかったと思われる。
その後、加賀前田家の二代藩主・利常が自身の隠居後の城として小松城を拡張した。当時は一国一城令が発令されており、城の拡張などは禁止されていたが、小松城は例外として認められた。
往時は、川に浮かぶ8つの島を曲輪とし、各曲輪を橋で繋ぐ縄張りで、「小松の浮城」とも呼ばれた。現在は城域は埋め立てられ、天守台石垣が残る。
加賀前田家の二代藩主・利常が自身の隠居後の城として拡張した城。当時は一国一城令が発令されていたが、例外として認められた。往時は川に浮かぶ8つの島を曲輪とし、各曲輪を橋で繋ぐ縄張りで、小松の浮城とも呼ばれた。
(2009/8/14 作成)