鳥越城は手取川の上流、大日川との合流地点付近の山に築かれた城である。城は加賀一向一揆の山内衆(白山麓門徒衆)の拠点であり、城主は鈴木出羽守が務めた。
天正8年(1580)には織田信長が加賀一向一揆の平定を目論み、鳥越城は柴田勝家軍の攻撃を受けた。激戦の末、11月に落城し出羽守は自刃した。その後も一向一揆衆は天正9年(1580)2月と天正10年(1581)3月の二度反抗を試みるが、鎮圧された。
手取川の上流、大日川との合流地点付近の山に築かれた城。加賀一向一揆の山内衆(白山麓門徒衆)の拠点であり、城主は鈴木出羽守が務めた。天正8年には織田信長が加賀一向一揆の平定を目論み、鳥越城は柴田勝家軍の攻撃を受け落城した。
(2009/8/14 作成)