【城の歴史】
ここには鎌倉時代初期に甲斐源氏・一条忠頼の居館があった。戦国時代に甲斐を支配した武田氏が滅亡したあと、甲斐を支配した徳川家康がここに築城しようと検討したが実現には至らなかった。
甲府城の築城を開始したのは豊臣秀吉の甥・秀勝で、天正18年(1590)年頃と言われる。間もなく秀勝は岐阜に転封され、代わって甲斐の太守となった加藤光泰、次いで浅野長政・幸長により継続して築城され、浅野氏の時代にほぼ完成したと考えられる。
関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)には平岩親吉が甲府城代となり、同8年には徳川義直(家康の9男)が城主となった。甲府城は江戸の西の守りの要のため、以降歴代城主は将軍に近い徳川氏の一族がつとめた。その後、宝永2年(1705)には柳沢吉保・吉里親子が封じられたが、享保9年(1724)に柳沢氏が大和郡山に転封されると、以降甲府城は幕府直轄の城となり、甲府勤番が設けられ城を管理した。その後明治維新により廃城となった。
【城の立地】
甲斐国の中心・甲府盆地にある独立丘陵の一条小山に築かれている。城からは甲府盆地内の様子が手に取るように見渡ることができる。城の傍らには甲州街道があり、東に向かうと江戸へ、西は諏訪に至る地であった。
【城の見どころ:普請(土木工事)編】
甲府城の石垣のほとんどが自然石を粗く積み上げた野面積み石垣で、天正18年(1590)年頃の築城時に組み上げられたものである。その石垣は城内の石切場からも切り出された。甲府城東の石垣の高さは城内随一で、甲府城は豊臣政権下で築かれたので、甲府の東に在する徳川家の侵攻を想定し、城の東側が高石垣になっているのだろうか。
【城の見どころ:作事(建築)編】
往時の建物は残らないが、発掘調査結果や古絵図などに基づいた建物の復元がされている。城への入口である枡形虎口の山手御門、城内の自由な移動を遮る鍛冶曲輪門、内松陰門、稲荷曲輪門、城の重要地点を守る二重櫓である稲荷櫓、本丸虎口の鉄門が復元されている。
【主な参考文献等】
現地看板
パンフレット「鶴舞城公園」「甲府城石垣展示室」「甲府市歴史公園 甲府城山手御門」
Webサイト 遺跡トピックスNo.0345「ひらけ!玉手箱~よみがえる鯱」展の開催、山梨県公式サイト、2022/5/21閲覧、https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/301-400/345.html
Webサイト 甲府城、甲府市公式サイト、2022/5/21閲覧、https://www.city.kofu.yamanashi.jp/welcome/rekishi/kofujyou.html
Webサイト 甲府城研究室(埋蔵文化財センター)_甲府城内探検、山梨県公式サイト、2022/5/21閲覧、https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/ko-fu_zyou/koufu_jo_new/jyounai_tanken.html
日本百名城。築城を開始したのは豊臣秀吉の甥・秀勝で、加藤光泰、浅野長政・幸長により築城された。慶長6年(1601)には平岩親吉、次いで徳川義直(家康の9男)、宝永2年(1705)に柳沢吉保が封じられた。以降は幕府直轄の城となった。
(2008/11/19 作成、 2022/5/21 更新、2024/4/27 更新)