久留里城は真里谷氏が支配していたが里見義堯の侵攻を許し真里谷氏は滅亡した。義堯は本拠を久留里城に移し、房総半島制圧のための拠点とした。天正18年には関東に封じられた徳川家康の家臣・大須賀忠政、関ヶ原合戦後には土屋忠直が入った。
戦国時代には上総武田氏の支配下にあったが、天文年間に安房の里見氏に征服され、重臣の正木氏が城主に任じられた。天正18年(1590)の豊臣秀吉による関東征伐後には、関東に封じられた徳川家康の城となり、本多忠勝が城主となった。