田辺城は会津川の河口付近に築かれた城である。この城は、関ヶ原合戦後に紀伊に入った浅野幸長の重臣・浅野氏重が築いた城で、慶長十一年(1606)に築城された。元和元年の一国一城令により城ではなく館の扱いとなったが、実質的には城であったと思われる。元和五年(1619)に浅野家が安芸国に転封されると、代わって紀伊には徳川頼宣が封じられた。紀伊田辺城主には頼宣の家老・安藤帯刀が任じられ、以降幕末まで安藤家が城主をつとめた。現在は城跡の市街地化に伴い殆どの遺構が失われたが、埋門型の水門跡が残る。
田辺城は会津川の河口付近に築かれた城である。この城は、関ヶ原合戦後に紀伊に入った浅野幸長の重臣・浅野氏重が築いた城で、慶長十一年(1606)に築城された。元和元年の一国一城令により城ではなく館の扱いとなったが、実質的には城であったと思われる。現在は城跡の市街地化に伴い殆どの遺構が失われたが、埋門型の水門跡が残る。
(2013/4/27 作成)