田峯城は田峯地方を支配した田峯菅沼氏の本拠城である。菅沼氏は作手が発祥の地であるが、この田峯地方に進出し、文明2年(1470)に田峯城を築いた。寒狭川を見下ろす台地上に位置する。
田峯菅沼氏は定忠の代には甲斐の武田氏に従っていたが、長篠の合戦で敗れ、その間に一族が裏切り城を占拠した。定忠は信濃方面に落ちたが、やがて城を奇襲し、裏切った一族らを皆殺しとした。その後定忠は武田氏滅亡時に信州飯田・知久平城にて討ち死にし、菅沼家は断絶、田峯城も廃城された。
田峯菅沼氏の本拠城で、寒狭川を見下ろす台地上に位置する。定忠の代には甲斐の武田氏に従っていたが、長篠の合戦で敗れ、その間に一族が裏切り城を占拠した。定忠は武田氏滅亡時に討ち死にし、菅沼家は断絶、田峯城も廃城された。
(2008/11/4 作成)