苗木城は、岩村城を本拠とする遠山家の支城である。城の始まりは明確ではないが、大永6年(1526)に遠山昌利が築城した説がある。城脇には木曽川が流れ、飛騨・信濃への交通の要衝であった。
遠山家はやがて織田信長の支配下に入り、苗木城主・遠山直廉は信長の妹を妻とし、さらに直廉の娘は信長の養女となった。その後、信長の養女として武田勝頼に嫁いだが、子・信勝を産んだ際に死去し、子の信勝は武田氏滅亡時に自刃した。
天正2年(1574)には武田氏の侵攻を受け苗木城は落城したが、翌年には再び信長が奪還し、遠山友忠が城主に返り咲いた。しかし、信長の死後、友忠は徳川家康に味方し、秀吉方の森長可の攻撃を受け再度落城、森氏、次いで河尻氏の支配下に入った。関ヶ原合戦では河尻氏は西軍につき改易され、遠山友忠が復帰した。以降、江戸時代を通じで遠山氏が苗木城主をつとめた。
城内には巨石が多く存在したため、清水寺のような懸造の建物が建てられていた。
岩村城を本拠とする遠山家の支城。城脇には木曽川が流れ交通の要衝であった。一度は遠山氏に変わって森氏・河尻氏が城主となるが、関ヶ原合戦で河尻氏は西軍につき改易され遠山氏が復帰した。以降、江戸時代を通じて遠山氏が苗木城主をつとめた。
(2008/10/26 作成、2013/8/11 更新、2019/9/15 更新)