篠脇城は郡上地方を支配する東氏の第4代・氏村によって築かれた城である。天文9年(1540)に越前の朝倉氏の侵攻を受け、時の当主であった第11代・常慶が翌年に本拠を赤谷山へ移したため、篠脇城は廃城となった。
東氏館は篠脇城の山麓に位置し、東氏の日常の居館が存在した。居館には庭園が配されており、今日その姿が復元されている。
郡上地方を支配する東氏村によって築かれた城である。天文9年に時の当主であった東常慶が翌年に本拠を赤谷山へ移したため、篠脇城は廃城となった。東氏館は篠脇城の山麓に位置し、東氏の日常の居館が存在した。居館には庭園が配されていた。
(2008/11/12 作成)