浪岡城の築城時期は応仁の乱(1467-77)の頃と推測され、南北朝時代に当地に下った北畠氏一族が築城した。
永禄5年(1562)に当時の城主・北畠具運が叔父の北畠具信に殺されるという川原御所の乱が起こり、勢力が衰えた。そして天正6年(1578)、大浦(津軽)為信との戦いに敗れ落城し、城主の北畠顕村は自決、浪岡北畠氏は滅亡した。
城の曲輪は空堀で隔てられているが、その堀が二重・三重になっているのがこの城の特徴である。
築城時期は応仁の乱(1467-77)の頃と推測され、浪岡北畠氏が城主となった。天正6年(1578)に大浦(津軽)為信との戦いに敗れ落城し、浪岡北畠氏は滅亡した。空堀が二重・三重になっているのがこの城の特徴である。
(2007/10/12 作成)