三戸城 | 日本の城写真集

三戸城 | 日本の城写真集

三戸城

陸奥国(陸奥)青森県 / 収録写真枚数:11枚

【城の歴史】
三戸城は陸奥北部を支配した戦国大名・南部氏の本拠城である。築城時期は不明だが、三戸城の北方約4kmの位置にあるもとの本拠である本三戸城(聖寿寺館)が天文八年(1539)に焼失した後に築かれたものと考えられる。
天正19年(1591)に同じ南部一族の九戸氏を滅ぼすと、南部氏の本居城は三戸城から九戸城に移される。ただしその時点で城は廃城になった訳ではなく、石垣や土塁が整備されるなど城として存在し続けた。
寛永13年(1636)に南部氏の新本拠である盛岡城が完成すると三戸城は古城として扱われ、以降代官所が置かれるなどしたが、東北の雄・南部氏の本拠としての役割を終えた。

【城の立地】
城は三戸市街地中央にある、馬渕川と熊原川に挟まれた独立丘陵に築かれている。馬淵川は下流に向かうと八戸(根城)、上流に向かうと九戸城に至る交通の大動脈で、さんの減城は眼下に川や街道を抑える要衝にあった。

【城の見どころ:普請(土木工事)編】
九戸城は、比高は約90m程あり、東西1.7km・南北400m程の丘陵全体に曲輪が広がる非常に規模の大きい城だ。広大な南部領を支配するための拠点として、多数の家臣やその家族、兵らを収容できる規模を備えていた。実際に豊臣秀吉による奥州仕置の際には南部家家臣に対し、家臣の妻子を人質として三戸城に住まわせるような命が下っている。

【城の見どころ:作事(建築)編】
城域には模擬天守と櫓門(綱御門)が建てられている。また城下の寺にはかつての三戸城城門と伝わる門が2つ移築され現存する。

【主な参考文献等】
現地看板
書籍 熊谷隆次著 『戦国の北奥羽南部氏』 デーリー東北新聞社 2021/6/16

陸奥北部を支配した戦国大名・南部氏の本拠城。馬渕川と熊原川に挟まれた山上に築かれた。築城者は南部氏24代・晴政で築城年は永禄年間(1558~1570)と伝わる。その後南部氏は新たに盛岡城を築き、本拠城を三戸から移した。

(2009/8/25 作成、 2022/4/30 更新)

三戸城付近の地図

Page Top