相馬中村城は、平安時代の延暦二十年(801)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐を行った際に、菅原敬実が当地に西館を築いたのが始まりと伝わる。その後、元亨三年(1323)には当地は相馬家の支配下に入り、慶長十六年(1611)に相馬家当主の利胤は小高城から相馬中村城に本拠地を移した。相馬家は代々伊達家と激しい戦を繰り返し、北方の伊達家に対する備えの堅い城であった。かつては天守も建てられていたが、寛文十年(1670)に落雷により焼失してしまった。以降幕末まで相馬氏が支配するが、同じ一族がこれだけの長い期間同じ土地を支配する事は珍しい。
平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷征伐を行った際に菅原敬実が当地に西館を築いたのが始まり。その後、元亨三年には当地は相馬家の支配下に入り、慶長十六年に相馬利胤が小高城から相馬中村城に本拠地を移した。以降幕末まで相馬氏が支配した。
(2010/10/2 作成)