永禄12年(1569)には石橋家筆頭家臣の大河内家が城主であったが、同じく石橋家家臣・大内氏、石川氏、寺坂氏らに攻められ落城した。これみより宮森城は大内氏の支配下に入ったが、天正13年(1585)には伊達政宗の攻撃を受け落城し、政宗の父・輝宗が城主となった。同年に二本松城主・畠山義継が和睦を求め宮森城の伊達輝宗を訪問するが、輝宗が義継に拉致され政宗が義継を父・輝宗もろとも殺害する事件が発生した。
宮森城は大内家が支配していたが、天正13年に伊達政宗の攻撃を受け落城。政宗の父・輝宗が城主となった。同年に二本松城主・畠山義継が和睦を求め輝宗を訪問するが、輝宗は義継に拉致され、政宗が義継を父・輝宗もろとも殺害する事件が発生した。
(2010/9/11 作成)