白石城を築いたのは刈田経元と言われ、刈田氏が約100年支配したのち、白石氏が約400年治めた。白石氏は戦国時代末期に、奥州の覇者・伊達氏の支配下に入る。
天正19年(1591)には豊臣秀吉の奥州仕置により、白石城は伊達氏から没収され、かわりに会津の蒲生氏郷の城となった。氏郷は重臣の蒲生郷成を城主とした。慶長3年(1598)には蒲生氏にかわって上杉氏が封じられ、家臣の甘糟清長が城主となった。
関ヶ原合戦後は上杉氏の減封に伴い再び伊達氏の所領となり、はじめは石川昭光、やがて片倉景綱が城主となり南方に備えた。一国一城令が発令された後も、白石城は仙台城の支城となり、破却されなかった。片倉氏は代々白石城主を務め、幕末に至った。
明治維新時には、奥羽越31列藩同盟がこの城で結ばれた。現在の天守は1994年に木造復元されたものである。
刈田氏のちに白石氏が治めた。白石氏は伊達氏の支配下に入り、以降蒲生氏、上杉氏が治める。関ヶ原合戦後再び伊達氏の支配下に入り、やがて片倉景綱が城主となった。明治維新時には奥羽越31列藩同盟がこの城で結ばれた。
(2008/7/21 作成、2010/8/29 更新)