日本三名城、日本百名城。天守は1957年に外観復元された。徳川家康が慶長15年(1610)から西国大名を動員した天下普請で築城を開始し、同17年に完成。家康の九男・義直の居城となり、江戸時代を通じて尾張藩の居城として栄えた。
尾張国守護所でのちに織田信長が攻略し本拠とした。本能寺の変後は次男・信雄、豊臣秀次、福島正則が城主となった。正則が関ヶ原合戦後に転封されると、家康の四男・忠吉、九男・義直が入った。その後名古屋城が築城され、清洲城は廃城となった。
織田信長が永禄6年(1563)に美濃攻略の拠点として築いた城。永禄10年(1567)には美濃を制圧し岐阜に本拠を移した。その後天正12年(1584)に秀吉・家康は尾張国内で軍事衝突し、家康軍が廃城跡であった小牧山に布陣した。
国宝、天守の現存する城。日本百名城。天文6年(1537)に織田信康が築いた。信康の子の信清は信長と敵対し落城、のちに池田恒興が城主となった。小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いの舞台となり、江戸時代には成瀬氏が代々城主をつとめた。