首里城は琉球王国の国王の居城であった。城は石灰岩でできた丘に築かれ、建物は中国の影響を強く受けている。首里城の築城時期は不明だが、尚巴志が琉球を統一した頃(1429年頃)には存在したと思われる。
慶長14年(1609)には薩摩藩の侵攻を受け、琉球王国は日本と中国の両方に属すこととなり、公使が江戸と琉球を往復した。その後城は何度かの火災に見舞われるが、その度に再築された。1853年には黒船が琉球に来航し、首里城でペリー提督一行の歓迎式が開かれた。明治12年(1879)の琉球処分により琉球王国は終焉を迎え、首里城も王国の首府としての役割を終えた。
その後、城は軍施設として使われたが、太平洋戦争で破壊し尽くされた。戦後は跡地に琉球大学が建てられたがやがて移転し、城が復元された。首里城跡は世界遺産に登録されている。
日本百名城。首里城は琉球王国の国王の居城であった。城は石灰岩でできた丘に築かれ、建物は中国の影響を強く受けている。その後、城は太平洋戦争で破壊し尽くされたが、のちに復元され、世界遺産に登録されている。
(2009/11/21 作成、2018/4/1 更新)