佐渡奉行所は慶長8年に佐渡金山の管理ために江戸幕府が設けたもの。江戸時代を通じて奉行所は火災により五回焼失し、その都度建て替えられた。現在の奉行所は平成12年に復元されたもので、安政六年(1859)に建てられた最後の奉行所を復元したものである。
沢根城は本間家の分家・沢根本間家の本拠城。天正17年(1589)に上杉家が佐渡を攻撃した際には、沢根本間家は上杉家に帰順し、上杉軍は沢根城の前の港から佐渡に上陸した。現在は、沢根城の城門を移築したものと伝わる門が長安寺に残る。
羽茂城は雑太本間家の分家・羽茂本間家が本拠とした城で、室町時代初期に築かれたと思われる。天正17年(1589)に越後の上杉家の攻撃を受け落城した。
雑太城は戦国時代の本間家の城跡で、永正年間の築城と思われる。天正17年(1589)に越後の上杉家により佐渡が討伐され、廃城となった。この時、上杉家家老の直江兼続により城域は妙宣寺に与えられ、現在に至る。