現在大坂城のある地には、もともとは明応5年(1496)に建てられた石山本願寺があった。本願寺は戦国時代には毛利氏と結んで織田信長と敵対した。石山本願寺を城砦化して長期に渡って籠城するが、ついに信長と和睦し、石山本願寺は廃された。
その後、信長の死後に豊臣秀吉が大坂城を築いた。同時に上げられた天守は豪華絢爛で、金箔などで彩られていたと言われる。大坂城は豊臣政権の象徴として存在し、秀吉の死後も、その後継者である秀頼が在城した。
しかし慶長19年(1614)から翌年にかけて、大坂城に籠城する豊臣軍に対して徳川軍が攻撃をかけ、豊臣家が滅ぶとともに、この時大坂城も破壊された。その後、大坂城の再建が行われ、寛永6年(1629)に完成した。現在見る大坂城の縄張りはこの時のものであり、徳川家の大坂城は豊臣家の大坂城の上に新たに築かれた。石垣もより高いものになっていて、三重櫓も12棟建てられた。築城時に天守も再建されたが、落雷により焼失してしまった。
明治維新後には廃城されるが、昭和6年(1931)に市民の寄付によって天守が復興され、現在に至る。この復興天守も1997年に国の登録有形文化財に登録された。
日本三名城、日本百名城。信長の死後に豊臣秀吉が築いたが、天守は豪華絢爛で金箔などで彩られていたと言われる。その後、大坂の陣で城は破壊されるが、江戸幕府により築きなおされる。天守は昭和6年に復興され、現在に至る。
(2008/1/4 作成、2012/12/15 更新、2015/9/21 更新、2017/7/9 更新、2020/8/21更新)