鳥羽城は、豊臣秀吉の水軍の将・九鬼嘉隆が天正十四年(1586)に築城を開始し、約8年を要して文禄三年(1594)八月に完成した。三方を海に囲まれた要害に立地した海城で、大手門は海側に開き、大手門には船で至る構造であった。
関ヶ原合戦の際には、嘉隆は石田三成の西軍、嘉隆の子の守隆は徳川家康の東軍となり九鬼家の存続をはかった。守隆の死後には家督の相続問題が起き、九鬼家は鳥羽を去った。
その後は内藤、土井、松平、坂倉、松平、稲垣氏と城主が変わり、明治四年に廃城となった。
豊臣秀吉の水軍の将・九鬼嘉隆が築いた城。三方を海に囲まれた要害に立地する。関ヶ原合戦の際には、父嘉隆は西軍、子の守隆は東軍となり九鬼家の存続をはかった。九鬼家の後は内藤、土井、松平、坂倉、松平、稲垣氏と城主が変わった。
(2008/2/3 作成)