大田原城は天文14年(1545)に大田原資清によって築かれた城である。大田原氏は那須氏の家臣であったが、豊臣秀吉に帰順することで領地を保った。慶長五年(1600)の関ヶ原合戦の際には、会津の上杉家に備えるために、徳川家康の支援も受けて城の修築が行われた。大田原氏は江戸時代を通じて大田原藩藩主を務めた。また江戸幕府三代将軍・徳川家光の命により、常備食料が城に蓄えられ、奥州への抑えとしての役割を果たした。戊辰戦争の際には新政府側についたため、旧幕府側の攻撃を受けたが、火薬庫の爆発により落城を免れたといわれる。
城は蛇尾川沿いの丘陵に築かれている。現在は公園として整備されており、特に本丸の周囲を囲む土塁が素晴らしい。
天文14年(1545)に大田原資清によって築かれた城。大田原氏は那須氏の家臣であったが、豊臣秀吉に帰順することで領地を保った。関ヶ原合戦の際には徳川家康の支援も受けて城の修築が行われた。大田原氏は江戸時代を通じて大田原藩藩主を務めた。城は蛇尾川沿いの丘陵に築かれている。現在は公園として整備されており、特に本丸の周囲を囲む土塁が素晴らしい。
(2013/1/14 作成)