古河城は室町幕府の古河公方の本拠地であり、渡良瀬川岸にある城で水運を活用した城であった。古河公方足利氏は相模の北条氏に侵食され勢力を弱めた。やがて北条氏康の甥が足利義氏を名乗り足利氏の養子となり古河公方は北条氏の支配下に入った。これにより古河城も北条氏のものとなった。
北条氏の滅亡後は家康の部下・小笠原秀政が城主となり、以降江戸幕府の重臣がこの城の城主をつとめた。中でも土井家は二回にわたり合計約150年間古河を治めた。また、将軍が日光に行く際には古河城は宿泊所となった。城には天守はなく、代用の御三階櫓があった。
かつての城域は現在は渡良瀬川の河川工事により大部分が消滅してしまったが、往時の出城付近に古河歴史博物館が建つ。
室町幕府の古河公方の本拠地で、渡良瀬川岸にある城で水運を活用した城。やがて北条氏康の甥が足利義氏を名乗り足利氏の養子となり古河公方は北条氏の支配下に入った。これにより古河城も北条氏のものとなった。北条氏の滅亡後は家康の家臣・小笠原秀政が城主となり、以降江戸幕府の重臣が城主をつとめた。中でも土井家は二回にわたり合計約150年間古河を治めた。
(2008/1/30 作成、2013/2/2 更新)