逆井城は下野の小山氏の一族が逆井を領し逆井氏を名乗り、城を築いたのが始まりと言われる。天文5年(1536)には北条氏家臣の大道寺政繁の攻撃を受け落城したと伝わる。この時、城主の逆井常繁は戦死し、その妻が釣鐘を被って池に飛び込み自殺したと伝わる池が城内には残るが、北条氏の逆井城攻略の時期は定かではない。いずれにしろ、逆井城は北条家の支配下に入り、対佐竹家などとの戦いの最前線となった。逆井城主は北条家一族の北条氏繁、氏舜、氏勝などが務めた。北条家が滅亡すると、逆井城も廃城となった。現在城跡は公園として整備され二層櫓などが建てられ、戦国期の城の姿が再現されている。
下野の小山氏の一族が逆井を領し逆井氏を名乗り、城を築いたのが始まりと言われる。逆井城は北条家の支配下に入り、対佐竹家などとの戦いの最前線となった。逆井城主は北条家一族の北条氏繁、氏舜、氏勝などが務めた。北条家が滅亡すると、逆井城も廃城となった。現在城跡は公園として整備され二層櫓などが建てられ、戦国期の城の姿が再現されている。
(2007/9/25 作成、2013/6/2 更新)