松尾城は川に挟まれた台地の先端に築かれた城である。室町時代の信濃国守護を務めた小笠原家は、府中小笠原家と松尾小笠原家、鈴岡小笠原家に分かれたが、松尾城は松尾小笠原家の本拠城であった。
甲斐の武田晴信(信玄)が信濃に侵攻すると、府中小笠原家の小笠原長時は弟で鈴岡小笠原家の信定とともに武田家に対抗する一方、武田家に従っていた小笠原信貴は信定に勝利し、当地の支配を任された。武田家が織田信長によって滅ぼされると信貴は徳川家康の配下となった。のちに家康が関東移封されるとこれに従い、松尾城は廃城となった。
松尾城は背後を毛賀沢川の深い渓谷に守られた堅固な城で、城域も広い。現在城域は公園として整備されている。また毛賀沢川を隔てた向こう岸に鈴岡城がある。なお、この鈴岡城は鈴岡小笠原家の本拠であり、松尾城の松尾小笠原家と鈴岡城の鈴岡小笠原家の間では守護職を巡っての争いが行われたため、ごく近隣の2城間で争いが行われたことになる。現在、毛賀沢川を渡り鈴岡城に至る橋が架けられている。
松尾城は川に挟まれた台地の先端に築かれた城で、松尾小笠原家の本拠城。毛賀沢川を隔てた向こう岸に鈴岡城があり、橋で結ばれている。鈴岡城は鈴岡小笠原家の本拠であり、松尾城の松尾小笠原家と鈴岡城の鈴岡小笠原家の間では守護職を巡っての争いが行われたため、ごく近隣の2城間で争いが行われたことになる。
(2016/5/6 作成)