大島城は当地を支配した大島氏が築いたのが始まりで、のちに天文23年(1554)に甲斐の武田氏が伊奈に侵攻するとその支配下に入った。その後元亀二年(1571)に大改修が加えられ、伊那谷の拠点としての機能を果たすようになった。現在残る馬出や三日月堀などの城の姿は、この時に造られたものである。天正十年(1582)の織田氏が伊奈に侵入すると、大島城主であった武田信廉は城を捨て逃亡し落城した。
城は天竜川沿いの段丘上に築かれており、背後は天竜川の絶壁に守られている。反対側は武田流築城術である三日月堀を伴った丸馬出を設け防御を固めている。この三日月堀は巨大で、かつ二重になっている。
大島城は当地を支配した大島氏が築いたのが始まりで、元亀二年(1571)に武田氏によって大改修が加えられ、伊那谷の拠点としての機能を果たすようになった。現在残る馬出や三日月堀などの城の姿は、この時に造られたものである。
(2016/5/8 作成、2019/5/5 更新)