上田城は天正十一年(1583)に真田昌幸が築いた城で、尼ヶ淵により切り立つ断崖上に位置する。
その天険を生かし、二度にわたる徳川軍の攻撃を守り抜いた名城として有名である。一度目は天正13年(1585)に徳川家に臣従していた真田家が離反した際に起こったものであり、真田家は上田城に籠城したのち巧みに反撃し、小勢で大軍を撃破した。二度目は慶長5年(1600)の関ヶ原合戦前で、西方の決戦場向かう徳川秀忠率いる徳川主力軍が上田城を通過する際に起こったもので、この時も真田家は籠城戦に及び徳川軍は城を落とすことができなかった。
関ヶ原合戦後に上田の地には真田信之が封じられ、その後仙石氏、のち松平氏の居城となった。現在は本丸・二の丸に隅櫓や石垣・土塁が残る。櫓は仙石忠政の代に建てられたもので、三棟が現存する。
日本百名城。 天正11年(1583)に真田昌幸が築いた城で、二度にわたる徳川軍の攻撃を防いだ名城。のちに仙石氏、松平氏の居城となった。本丸・二の丸に隅櫓や石垣・土塁が残る。櫓は仙石忠政の代に建てられたもので三棟が現存する。
(2007/10/25 作成)